同じことをやるとしても、立場や見方を変えれば全然違ったとらえ方ができます。
「わかりません教えて下さい。」と聞く前にという記事の中で書いたのですが、質問をする側される側、両方の立場になってようやくわかることがありました。
立場や見方じゃなく、自分自身の意識をほんの少し変えるだけでも全然違います。
「キツかったら手伝うよー」という上から目線スタンスではなく、「私がやります。はい。私の仕事です!!!」
ということにしました。これ、カミさんの実務的な負担が減るだけではなく、ほかにもかなりメリットがあるんです。
via:洗い物を完全に僕の仕事にしたら
この記事では家事を例としていますが、家事も仕事も遊びも意識をほんの少し変えるだけというのは一緒です。
意識を変えてやってみる
やらされてやってるのと自分から進んでやるのとでは自分が抱く感覚が変わります。
やらされてると少しでも感じた瞬間に自分のことであっても他人事に感じてしまうし、何よりやっていてつまらなく感じます。
自分から進んでやっているとなれば他人事のような感覚はないし、何よりやっていて楽しさをかんじるはずです。
見た相手の印象も変わる
相手から見た時の自分の様子も違って見えます。
「やらされてる」だとどこか窮屈な感じを受けます。
「自分から進んでやってる」だと好きなのかなとかなんか楽しそうにしているのが伝わってきます。
楽しいことをやってるなって人は大抵、自分から進んでやってるし見ていて楽しさがよく伝わってきます。
そしてなんかよくわかんないけどこの人に惹きつけられるって時も、その人は自分から進んでやっていてやっていることが楽しそうなんです。
コレ大事よね。キチンと分担することによってお互い「自分ばっかり疲れるわー」という認識がなくなりますもんね。
いつもありがとう!ステキ!好き!!!となるかもしれません。ぐふふ。
via:via:洗い物を完全に僕の仕事にしたら
魅力的に見られたくて自分から進んでやったっていいし、自分で進んでやったら結果的に魅力的に見られるようになったっていいし、
どっちにしたって自分も相手も悪い気はしないはず。
さいごに
実際にやってることは同じなのに、やってる自分が感じる感じ方もそれを見た人の感じ方も違います。
もしそれだけの違いで自分も周りもhappyになるなら、「自分から進んでやってる!」と言い切りたいし言い切ってほしい。
自分の魅力が上がればいいことだって沢山あるはずだし!
[dailynew]
・隣のビルのカフェ
・大手町から二重橋前まで歩いてみた