日本では「まじめ」というのは褒め言葉になっている。
まじめな人は誠実で、言われたことはしっかりやる。
まじめな人はいつも一生懸命に物事をこなしていく。
「まじめ」という周りからの評価がまじめな人をよりまじめにさせる。
「まじめ」はいいことのようにされているが、それだけなのだろうか。
今回紹介する、勝間和代さんの「まじめの罠」で「まじめな自分」についてこう書いてある。
それまでのまじめな私は、ただ単に駒として使い勝手がよく、上手に利用されていたに過ぎなかったのでしょう。
via:まじめの罠 - P.5
何事にも良い面と悪い面がある。「まじめ」という言葉にも裏があるのだろう。
小さい頃から「まじめ」がいいこととされていた理由
小さい頃から「お父さんお母さんの言うことは聞きなさい」と育てられ、学校へ通うようになってからも「先生の言うことは聞きなさい」と言われ続ける。
そして「言われたことは聞くまじめな子」が「いい子」とされ育ってきた。
なぜそうやって育てられてきたのか、大人になった今ならわかる。
その方が大人にとって手がかからなくて扱いやすいからだ。
正しいことなんて一つもない
幼い頃は自分が未熟だから、大人が色々なことを教えるのは何も悪いことじゃない。
ただし、お父さんやお母さんだって間違えることはあるし、先生だって言ってることが全て正しいとは言えないのだ。
そのことも教えてあげなければいけない。
お父さんやお母さんの言うことは、「正しいこと」じゃなくて「数ある中のひとつ」だと教えることが大切だ。
まじめの罠
お父さんやお母さん、先生に言われてきたその延長で、僕たちは社会に出てからも「いい子」でいようとする。
もし社会に出てからも上司や上の人の言うことを鵜呑みにしていたら危険だ。
何も疑問をもたずに働く「いい子」でいようとする「まじめな人」は、思考停止したままでいると「まじめの罠」が待っている。
まじめな人ほどストレスを強く感じる
「まじめの罠」にかかると、思考停止して何もかもが受け身になってしまう。
上司の言葉、テレビ、新聞や雑誌、インターネットの情報に流され影響を受けやすくなる。
仕事の場では「会社では上司の言うことは絶対だ」なんてことになり「超過労働」を押し付けられるかも知れない。
それがどんどんエスカレートしていったら、最悪の場合「過労死」という結果にだってなり得る。
まじめすぎるから死ぬほど働いてしまうのである。
「過労死」を英語にすると「karoushi」だ。つまり日本だけの異質なことなのだ。
もしあなたが仕事で強いストレスを感じているなら、それはあなたが「まじめの罠」にかかっているからなのかもしれない。
まじめの罠を読んでみて
僕たちは知らず知らずのうちに「まじめの罠」にかかっている可能性がある。
そのことに気づかせてくれたのが、今回紹介した「まじめの罠」だ。
どういう人が「まじめの罠」にかかっているのか、「もしかしたら自分も?」と気になる人はぜひ「まじめの罠 」を読んでみて欲しい。
最後に「まじめの罠」から抜け出す方法を一つだけご紹介したい。
「まじめの罠」から抜け出すためには「何故だろう?」「本当なのかな?」と全てのことに疑問を持つことだ。
「疑う」ことはよくないこととして小さい頃から言われてきて、「疑う」ということに抵抗がある人もいるだろう。
そういう人は「疑うことは悪いことなのか」ということに疑問をもってみて欲しい。
ものごとを批判的に検討するのは善悪の問題ではありません。悪いヤツだと疑うのではなく、批判的に検討するということが、逆に真剣に話を聞いていることの証拠でもあり、ある種の礼儀だといっても差し支えありません。「疑う」ということについてのネガティブな感覚を捨ててみてください。
via:まじめの罠 - P.161
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